8月16日 2022年

 

 

今日もまた弟に送り迎えしてもらった。

 

電車にもバスにも乗らず、車の後部座席で外の景色を観ているうちに、あっという間に病院に着く。

 

そうして、照射を済ませると

またあっという間に家に帰り着くことができる。

 

ドラえもんのどこでもドアみたいだ。

 

今日なんか昼前に帰宅できたので、

母のリクエストにこたえて、焼きそばをしっかり作ることが出来た。

 

完食されたお皿を見て、嬉しかった私。

 

身内なんだから…っていう言い方もあるけれど、

弟に折角のお盆休みに毎日、朝早くから通院に車を出して貰うのは、私にとっては当たり前のことではなく、ありがたいことだと思った。

 

思えばずっと

そう、ずっと。

 

わたしはこの病にかかってから、随分沢山の人に助けられているのだった。

 

病にかかる前からそうだった。

 

そうだったんだけれども、やっぱりこういう状況になると敏感にもなる。

 

人の好意や優しさに触れる度

自分はラッキーだなあと思う。

 

私は所謂、「取っつきやすい好い人」ではないし、「親切で物のわかった人」でもない。

 

それなのに。

 

それをラッキーと言わずして。

 


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病気になると、人は我が儘になりがちだ。

 

病気が人をそうさせる。

 

そうして、飲み込まれてしまう。

 

通院している今も、入院していた時も、病院では様々な人に出会う。

 

大きな声を出している人

ずーっとグチグチ文句を連ねている人

そういう人に何人も出会う。

 

寂しいんだな。

 

孤独の中の美しさを見ることなく

孤独の毒に絡め取られて。

 

ラッキーであることは、その毒に絡め取られないための蜘蛛の糸を持っているということでもある。

 

そう、思う。

 

ガールフレンド

ボーイフレンド

家族

 

ラッキーを抱えながら

送り火を炊く。

 

父よ

私は幸せ。