平穏

プロと言われる人達は、その技術を誇るけれど、受け取る側が欲しいのは、技術力だけじゃない。

 

それを望むのは、我が儘だろうか。

 

結局は同じ人間。

 

私が嫌なことは、そこに金が介在するからといって「なんてことのないこと」には、ならない。

 

技術力の向こうには、それがある。

 

施設に預けていれば大丈夫。

 

そういう言葉を聞くたびに思うこと。

 

大変だった日々のあれこれは

施設に入れてプロに任せれば大丈夫。

 

本当に?

 

プロって、何?

長いことそれを考えている。

 

 

 

コロナで高齢者施設では、クラスターが多く発生し、

死者数はふえるばかり。

 

安らかな時を取り戻すための入居だったはず。

 

ニュースの中では、認知症のコロナ患者の取り扱いがいかに大変か、人手をとるかと映しだされていた。

 

生きている意味。

 

生かされる意味。

 

これはおそらく障害児を抱える親御さんや、基礎疾患を持つ人間が等しく感じる思い。

 

言葉にすれば

どこか違うと思うから

言えずにいる思い。

 

決して歯の浮いたような「寄り添い」で「優しく」して欲しいわけじゃない。

 

そうやって枠の中

「与えられる」側の良い子を演じて何になる?

 

戦争で逃げ惑う人々の姿を観て

胸がつぶれそうになりながら

 

戦争はかの国だけに

起こっていることじゃないと思う。

 

分断。

 

年よりは仕方ないよ。

元々病気で身体弱かったんでしょ?

障害持ってたらねえ。

 

仕方ないよ。

よくやったよ。

いやむしろ、若い者のためには

ある種の決断も必要じゃない?

 

日々は続く…。

 

生きている意味

 

生かされる意味。

 

言葉にすればどこか違うけれど。

言葉にすればどこか違うから。