善良と逼迫

そういうわけで、私は結構人様より入院とか手術の経験もある方だと思う。

 

で、入院とかしてみると結構団体生活苦手な人間が増えていると思うんだよね。

えっと、これは 自分も含めます。

 

現代人って、本当に どんどん 他人とのコミュニケーションの取り方が ヘタになっているような気がする。

繰り返すけど 、これも自分含まれる。

 

病気になると、人間不安になるから 、ワガママにもなるし、 他人とのコミュニケーションの取り方がへた →わがまま の構図は、ひどくなる。

それが「善良」で「良心的」な人であっても。

 

そう。

普段は それなりに社会生活を送れている んだ。

けれど 病気になって 、その隠されていた負の部分が 進行していくと 看護婦さんに向かうって方向へ行く人もいるわけだ 。

 

ドクターにって方向に行く人が少ないのはやっぱ命綱って部分があるから ?w

 

で、看護婦さんの職業 ってのは、優しいだけでは務まらないって部分があると思うんだよね 。私は。

だから時には 厳しい言葉も出る。

きつい口調も。

 

 命、 精神的に 響いて、 自分の病状に 影響する ことがあるのならば 、それは絶対に訴えるべき。

 

病院には 患者の意見を 吸い取る システムが用意されているから 、そういうものを利用して 今後のためにも 絶対に 訴えるべきだと思う。

 

でもさ、そうじゃなくて 病人=王様みたいな考え方で 「優しくしてもらえなかった 」それはね、ちょっと違うと思うんだよ 。

 

ましてこんな時代 、野戦病院なんてもんが作られようとする時代にさ。

 

「病院体制が逼迫している」って事の本当の意味ってことを考えたら、 今、看護師さんやスタッフに 全部を求めるってどうなんだろうと思う。

 

従順な何も言わないお利口さんになる、なろうぜと言っているんじゃない。

 

でもさ、 お互い様とかありがとうって気持ちって 、そんなにそんなに伝わらないものなのかなってそんなことを思う。

甘い考え方と言われても。

 

逼迫した医療現場の人たちは 患者以上に何より 疲れているんだ ろう。

 

それを言い訳には…と思いながら、今日も現場に出ている訳で。

 

 

 

…「善良」ってのは、面倒くさいもんだね。