カメラの結果

大腸癌の手術以降

初めてのカメラ検査。

 

チャチャっと済ませてなんて

考えていたけれど、

入院検査となった。

 

ポリープがあれば

そのときに取れるものは取りますということであった。

 

考えても仕方ないこと

そう思うのだけれど

 

怖かった。

 

ステージ3といわれている。

私の見えないところで育っていた癌は、よもや…。

 

そう、あれこれ考えても

仕方ないこと。

 

わかってはいるのだけれど。

 

5月10日入院。

 

 

 

まずは下剤を飲む。

2リットルの下剤を1時間ほどかけて。

 

昔より随分飲みやすくなったって聞くけど

やっぱりちょっと…。

 

「一気に飲んじゃっていいですか?」

 

だめですって言われて

ちびちび飲む。

 

このねー

時間をおく感じがさー

 

かえってしんどいのよねえ。

 

そこからトイレへ何度も通う。

 

今回も贅沢だけれど、

個室にしたので

それでも、ましよねと思う。

自分の事だけ考えればいいから。

 

トイレへ度々行くときに起こる音にも、気兼ねしなくていいもの。

 

次に点滴用の針を刺して準備を…ということだったのだが

 

私の血管は非常に取りにくいらしい。

抗癌剤を打つときも

本当に苦労されていたのだけれども、今回も。

 

「ごめんなさい、私では

無理なので、ちょっと他の人を呼んできます。」

 

看護婦さん3人目でやっと。

 

結局手の甲に打った。

 

看護婦さん何度も謝っておられたけれど、

仕方ないこと。

 

仕方ないけど、太くて刺しやすい血管が欲しいもんだな。

 

朝9時に

弟におくってもらって入院。

 

それから下剤飲んで、麻酔の準備をして

 

午後2時頃、呼ばれる。

 

いよいよ、検査。

 

服を脱いで

後ろに穴の空いたおパンツに、

着替える。

 

上は長めの術着。

 

使い捨てのスリッパ履いて

ペタペタと看護婦さんのあとを歩いていく。

 

いよいよカメラ。

 

とはいえ、睡眠剤を処方されるので

 

「tonntikiさーん!終わりましたよーう。」

 

よばれるまで、私は何もわからないまま。

 

30分程横になって薬を覚ます。

 

ちょっと寒い。

 

「それでは、先生からお話があります。」

 

大腸癌を告知されたあの日と同じ同じ部屋。

 

若い男の先生。

 

なんかイライラした感じ。

 

ん?

どうした?

 

ドキドキした。

 

「……

手術のあとも大丈夫でした。

問題ありません。

 

何か処置をしなければならないことは、今のところありません。」

 

はああああああーっと

声にならない声が出た。

 

「ありがとうございます!」

 

嬉しかった。

本当に嬉しかった。

 

あの時の

見つけてくれた

あの女医さんに

報告したいと思った。

 

でも、それはせんないこと。

 

着替えるとき

不覚にも

涙が出た。

 

大袈裟と思われるかもしれないけれど

今まで私を支えてくれた人たちのことを思った。

 

癌患者は鬱になりやすいと聞く。

 

大腸癌と乳癌。

 

Wでやってきた私が

今まで私のままでいられたのは、生来のお気楽極楽な性分もあるけれど、支えてもらった人たちのお陰だ。

 

守ってくれてありがとう。

 

そしてこんな時ばかりと

呆れられているかもしれないけれど

八百万の神様、

ご先祖様、

お父さん、

亡くなった人たちの

見えない力を

ありがたく思う。

 

ありがとう。

本当にありがとうございます。

 

車イスで病室へ帰る。

 

その夜は、なんだか眠れなかった。

 

嬉しかった。

 

そして

少し

切ないような

なんともいえない

そんな気持ちで。