嬉しいねえ、ありがたいねえとこのところいい続けていて、
言っていると、おや?キラキラさんかよと思われてしまうことがある。
あったのだった。
キラキラさんって何?と聞かれると説明が難しいのだけれど、
所謂J-POPの歌詞的思考というか
みんな一緒だよとか
いつも側にいるよとか
ずっと変わらないとか
寄り添う気持ちが愛とか
真理のようでいて主語と状況が、非常にぼーんやりしたことを
「ここまで言ったんだから、私ってわかってるでしょう?」
或いは
「貴方も大変かも知れないけれど、私って繊細だからわかるの」と訴えてくる人。
何なら涙目も厭わずに。
つくづく思うのだけれど、本当に厳しい状況の人って、大泣きになくことはあっても、最後、自分を憐れむことはしない。
何故ならそこでぐずぐずになれば、立っていられないからだ。
プライドは立つためにある。
立ち続けるためにある。
だからこそ、簡単には騙されもしない。
騙されるという言い方に語弊があるとするなら、価値観と言い換えてもいい。
いい年をした大人なんだから、そんなに簡単に価値観は変わらない。
頑固って簡単に言ってくれるけど
頑固上等!
共感したからこそ言葉が出ないって状況を知る人は、甘い詞の源がどこにあるかを見抜く。
…と、思っていたけれど、最近、上から「言いきる」形式を持てば、騙されたいと願う一定の層には効果的なのかもなとも思う。
いや、だからさ、全てわかった上で言いますけれど、貴方の治療法は貴方に合っていないって、
それで、自由診療?へーーーー。
興味を示さなかったら、「可哀想」。
可哀想なのは、そちらでしょう。
今朝1番に、友達から届いたお守り。
そういえば、友達がくれたお守り、病院行きのポーチに沢山。
弟嫁のお母さんが自分のしんどさも後にして贈ってくださったお守り
私は普段これといったことも思わず、ノンシャランと生きているけれど
サッカリンのような甘さの言葉じゃなくて、本物の言葉、知っているからさ。
聞いているからさ。
守られているからさ。