強欲

つくづくと私って奴は、強欲なのだと思う。

 

人の気持ちに寄り添うとか

優しいとか

簡単に言うけれど

 

問題が起こった時に

それを解決したり、対処したり、向き合うことは

誰も代われはしない。

 

だからこそ、そこに「寄り添う」ことは、難しい。

簡単なことじゃない。

 

どんなに同情しても

或いは共感しても

 

私は貴方ではなく、

貴方は私ではない。

 

私の痛みは私が堪える他はなく、

貴方の苦しみは

貴方が対処するしかないのだ。

 

当たり前のことだけれど。

 

そこで、苦しみや痛みの大小を量るなんて、愚かだとも思う。

 

だって、その痛みや苦しみこそ人生というものならば、人生を比べるなんてこと、無駄じゃないか。

 

私の苦しみこそが一等賞

 

みんなそうおもってるよ。

でしょう?

だって自分の人生は自分だけのものだからさ。

 

時に理不尽

時に調整不能

 

大小じゃないのだ。

強弱でもない。

 

「向き合う」ことのしんどさに

時にへどもどしながらも、なんとか踏ん張って逃げてこなかった人達は、

今一番痛い気持ちには、発酵する時間が必要だと知っている。

 

知っているから、

その痛みや苦しみを

時には真正面でなくてもいいのではと気付かせ、

笑わせ、泣かせ

「時」を

「日常」

「今」を

いつの間にか、ああそうだったと再び思わせるヒントをくれる。

 

どこかに尊敬する気持ちがなければ

人の言葉なんて響いてこない。

 

浅い緩いところでチャプチャプやっていると思っても

人はいちいち指摘したりしないものだ。

 

ただ黙って見ている。

 

時には冷たく笑いながら。

 

その厳しさを、非情さを、

知っている人の言葉しか響かない。

 

「世間」は甘くない。

 

安い言葉じゃ満足出来ない。

 

「だからさ、やっぱり会わないと駄目よね」

 

そうかな。

 

顔も知らなくても

距離があっても

だからこそ深くってことだってあると知っている。

 

近くで顔が見えていることが

邪魔な状況だってある。

 

響く言葉を持つ人はいる。

響く言葉を持つ人が、いる。

 

私にとって、それぞれの出会いはある意味

奇跡…かもしれない。

 

ここにあるのは、

差し出されるのは、

 

想像力。

 

 

私は強欲で

幸せ者だと思う。