癖のある 頑固な人だった。
亡くなった 父は 、コントロールフリークで もあった。
弟には甘かったけれど 、お前は女の子なのだからと 門限は6時。
大学生になってからも それは続いた。
実は私箱入りなのよと 言っても、 友達は信じなかった。
門限があり 、外泊も禁止され ていたし、 アルバイトを始めたのは 大学生になって。
しかも それはスーパーのパン屋さん と言う 塩梅だったけれど 、 私は 周りの人々に、とても遊んでいるように思われていた。
当時付き合っていた彼氏は 、そんな私に イラついて言ったものだ。
「箱入りなら箱入りらしく、 それ相応に おとなしくしとけばいい。 君は とてもわかりにくい 。めんどくさいよ。」
私は 表だってわかりやすく父に反抗することはなかった。
それはとても面倒くさいことだったから。
言うことを聞いているようにみせておいて 、その境界線で 遊ぶこと。 それが とても楽しかった。
思えば私も 随分 拗らせて いた。
父が病気になって、 動けなくなって 、介護するようになって。
父は、ますます 頑固に、そして わがままになった 。
わがまま…それは 病気がそうさせるのだと 思うこともあったけれど、 厄介で。
私は どうしてわかってくれないのかと 何度も何度も 何度も何度も 風呂の中で 声を殺して泣いた。
父が旅立って しばらくして、 いろんなことをいろんな人から聞いた。
全く頑固だったわよね。
言い出したら聞かなかったよね 。
一度言い出したら、本当にちっとも 言うこと聞いてくれなくてね 。
あーそうだったね 。
その通りだね と相槌を打ちながら 、
私は 「そんなこともなかったんだ。
あれにはそれぞれ理由 があったのだよ。」と心の中で 思っていた。
頑固で厄介で 言い出したら聞かない わがままな父。
だけど そうじゃなかった父の顔。
その隔たりをなぞり思う時 、
私は何故か 涙が出る。