淡々と日常を

2日続けて注射を打って、処方された薬を飲んだら、嘘のように楽になった。

 

マジで泣いていたんだけど

トイレに行くのも脂汗だったのだけれど

かかりつけのドクターには、感謝しかない。

 

今は、その薬を飲まなくても大丈夫かどうか、ちょっと飲むのをストップしている状態。

うまく行くといいのだけれど。

 

こんな風な状況になると、いろんなことを聞く。

 

「だから、抗癌剤はやめといた方がよかったのよ」

 

「その上にコロナのワクチンも身体に入れてるでしょ?

よくないよねえ。自然じゃないもの。」

 

癌がわかって、治療をはじめてから、このてのことは、本当に沢山沢山。

 

抗癌剤が身体をボロボロにしてしまう前に、自然なものをいれるべきだったとか、この人に会うとひかりもらえるとか。

これを飲むと、

これを食べると、

エトセトラ、エトセトラ

 

今もまたSNSでは、コロナワクチンでターボ癌ができるぞーとか。

なんだよ、ターボ癌って。

 

んな訳なかろうと思っても、人によっては、心細く動揺した気持ちの隙をつかれて、良いと言われているのだからと、そちらの道に足を踏み出す人もいる。

 

私は友人のお母様が乳癌になって、「とにかく、標準治療をしっかり受けてね」とアドバイスを受けていた。

 

その後のぐわあーーっとやってきたモロモロに「あーこれであったか」と、思った。思ったよね。

 

入院中、同じ病気の人でさえ。

「貴方が好い人だから、教えるけれど…。」

 

コロナも癌も今の段階で

完全に治る決定薬l決定的治療法はない。

 

だから、そこにいろーんな説が入り込む。

 

正直、いたけりゃ思考はストップして、頭のなかは楽になりたいとひたすらそればかりになる。

 

 

だけど、それでも私がそっちの方向へ進まないのは、一発逆転なんて方法はないと思うからだ。

 

彼らの言うその理論で救われるものなら、とっくに、とっくのとうに世間に広がって、その効果を皆が甘受しているだろう。

 

残念ながら、皆が救われるそんなものは、どこにも存在していない。

 

存在しているのは数多の人々がその身体を張りながら、見つけ、作ってきた医療の道。

 

この間、為末大 氏が、自身の父親を癌で亡くされているのだけれど、母親は告知の後、動揺しながらもそちらの方向へはいかなかった。

 

それはなぜかというと淡々と日常を送ってきた力ではないかと思うと。

日常にしっかり足をついてきた力。

 

でも、結局亡くなったわけでしょう?

 

その言葉は無意味だと思う。

 

人は誰しも

いつかは旅立つ。

 

問題はそこに至る過程。

 

事実を事実として受け止め

淡々と

ただ、淡々と。

 

とりあえず

枇杷の種はいらない。