自分を下において謙虚に見せよう、お茶目に見せようとしたところで、それが「テクニック」的なものに過ぎなければ、いろいろ見えてしまうものだ。
一歩下がっているように見えても、ほらすごいでしょ、わかってるでしょとがっついている人の文章を読んでいると
「可愛そうにね」と思うのだ。
嘘と盛りは近しいものだと、どこで決めた?
誰が決める?
昔、京都の夜の歴史に立ち会わされ、その裏も少し覗かせてもらった。
「いちいち指摘はしないけど、二流どころの人物に限って、フクわよね。」と、おかみさんが笑う。
小物に限って、俺のバックは、立ち位置はといいたがると、893のワカガシラは言って、そして撃たれて死んだ。
難しいことはわからなくても、
その文章を読んで
「可愛そうに」なんて思われているなんて、私なら耐えられない。
そう。
プライドの在り方はそれぞれであるというのが前提であっても。
口を拭って、誰も知らないと思っていても、パクった文章をあげ続けるその「可愛そう」の上で踊る貴方が欲しい賞賛とやらは、それほど魅力的で、必要なものですか。
可愛そうにね。