モデル&妊婦デビュー



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本当なら と言うか 、基本的に 私は静かに寝ていたかった。

けれど 早期離床 。 のんびりだらだらは 許されないのだった。

 

「手術は僕たち医者が頑張ります。

でも、手術の後、頑張るのは tonchikiさんですよ 。」

 

そう 言われてはいたけど 、マージで スパルタ。

 

やっと寝返りが できるかな という状態の中、 術後2日目には 立ち上がることにチャレンジさせられていた。

 

無理だ。

 

だけど ええかっこしいの私は 、こんなところでも 無理です!!とは言いたくない のだった。

 

頑張ります。 頑張ってみせますとも。

 

売れない芸人が、人気番組参戦をオーダーされて、全身全霊で頑張るが如く、脂汗 を流しながら ベッドの柵に捕まって、 必死に立つ。

 

「たった、たったよ !!

tonchikiが、立ったよ!」

 

クララも大変だっただろうけど 、私tonchikiも大概大変。

 

そして4日目には 歩けと言われる。

 

簡単に言うけどさ、 私は横になっていたいんだよ。

 

だけど、再びええかっこしいの気持ちが ムクムク。

 

結局、ゴルゴダの丘に向かう、かの人のように、 重い足取りで  3歩だけ。

 

私は アメリカ人の 妊婦じゃない。

…って、また何を言い出すと思われるだろうけど。

 

昔、アメリカ人の 妊婦さんは、 お産のあと その日に歩いて 自宅に帰らされる と聞いた。

 

妊婦経験はないけれど 、「なんぼほど無茶させられるねん。 アメリカ人 どっか神経壊れてるんとちゃうか」 と 強く印象に 残った このエピソード。

 

思えば それ、早期離床 ってことだったのね。

 

妊婦じゃあないけれど、 私 、手術の後 腹帯なんか 巻かされているし、 息が浅い時は ヒーヒーフー で 乗り切るのよって ご陽気ドクターから言われて ヒーヒーフーやってるし。

 

いつのまにか私は アメリカ人妊婦 に 変身しているのだった 。

 

 

食事制限のためモデルデビューで、アメリカ 妊婦デビュー。

 

いったい私は どこへ向かっているんだろう。

 

 

呑み込まれる夜

痛い。

ただひたすら痛い。

 

手術後 自分の病室に、スパルタ車椅子で 帰ってきた私。

 痛みに飲み込まれそうだった。

 

言うまでもなく、 痛み止めのための点滴は、下がっている。

 

ただ ずっと 際限なしに 痛み止めをするわけにはいかないらしかった。

 

「体に負担が大きいので あと30分後に。 我慢できますか。」

 

我慢なんてできません。

言ったところでどうにもならない。

 

「違うタイプの痛み止めを使いますねー。」

 

だけど それは私には少し効果が薄くて。

 

眠ってしまえば 痛みから逃れられる。

 

そう思うけれど 眠れやしない。

 

目を閉じていても  痛みで気が立っていて 、眠りの妖精は どこか違う世界へ行ってしまったようだった。

 

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 

 

「tonchikiさん 、痛み止め入れますね。」

 

ああやっと30分過ぎたんだな。

 

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 

その繰り返し。

 

人間 こういう状況になると、 どんどんシンプルになっていって

「この痛みから 逃れたい。」

頭の中はそれだけになる。

 

思えば 普段私たちは 体を閉じて暮らしている。

歩いていて 突然 服を脱いで などというと、警察のお世話になる。

 

身体を見られること、イコール恥ずかしいこと。

 

だけど 病人として 存在すると、 誰に体を見られようが気にならなくなる。

 

「そんなことより 先生 、この痛み は どのくらいまで続きますか。」

 

体いっぱい 冷たい汗をかいて、朦朧としながら

「この状況から逃れたい 」

頭の中はただそれだけになる。

 

「はい。

痛み止め入ります。」

 

看護婦さんの声がして 、新しい痛み止点滴が吊り下げられると 、ああ、痛みが去っていく。

あーよかった。

 

今が何時なのか。

真っ暗な部屋の中、 寝返りも打てずに 耐えている私は 、なぜか 亡くなった父のことを 思い出している。。

 

自分がそうなってみなければ 分からないことって 、本当に 世の中には ありすぎるほど あるんだな 。 

 

静かな静かな 病棟。

 

誰かの 家族を呼ぶ 声が聞こえる。

高齢者が多い 病棟では、 面会禁止が続いて せん妄状態になる 人だっている。

 

痛みに耐えながら 遠い近いその声を聞く。

 

おーい おーい。 おーい おーい

聞きたくても聞けなかったよ

話は前後する。

 

下の写真は、離島先生が手術前、 説明しながら 書いてくれた ものだ。


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ずらずらずらと、リスク が 書かれ、並べられている。

 

手術自体が うまくいっても、 感染症で 大変なことにとか、 手術の途中で 麻酔による アクシデントとか 。

聞いているうちに 、シンプルに 怖くなる。

 

 私は 、こういう時、 すぐに 違うことを考えようとする 。

無意識のうちに。

こんな怖い話じゃなくて 、もっと 軽く、 素敵なこと。

 

でも 説明を受けている時 、軽く素敵なことは なかなか浮かばなくて 。

しょうがないから

「離島先生は、 本当に 南の 離島に いそうな感じだよね。 島民から愛されて 、頼りにされて。」

そんなことばかり考えていた。

 

考えてみれば 、今まで一度も会ったことはなかった、 離島先生 。

 

大袈裟に聞こえるかも知れないけれど、その人に 私はいま、自分の運命と 命を預けるのだなあ。

 

世の中は 、縁と不思議とでできている。


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私の病名は S 字結腸癌。

 

腹腔鏡手術で 、 癌を切り取る。

その際 お腹に、  五つの穴を開ける。

 

とった 癌は 、おへその ところ を 開いて 、そこから出すのだそうだ。

 

 癌というエイリアンが 、おへそから にょろんと 出てくる イメージ。

 

えぐいなぁ 。

嫌やなあ。

嫌な話を聞いていて 、嫌であればあるほど 、何故こうも 自分の話ではないような気がしてしまうんだろう。

 

「何かここまでの話で ご質問ありますか。 」

 

弟と 弟嫁 そして 何より私に 、離島先生は 尋ねた。

 

言えなかったけど、本当に聞きたかったこと は ひとつだけだった。

 

先生 私、助かりますか。

ハワイ部屋


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コロナである。

分かっていることではあるが 、コロナのおかげで病院は いつもとは違う様子を 見せている。

 

面会は原則禁止。

入院、手術前は、PCR検査。

 

前回2回の 入院の際、 私は 検査入院だという 気持ちもあって、 四人部屋の中にいた。

所謂大部屋。

 

しかし 今回 手術もある。

私的には ちょっと予測もつかない 大きな手術。

個室をとりたいな。

… そんな気持ちが、少しあった。

 

正直に言おう。

前回2回の入院は、 夜ろくろく眠ることができなかった。

 

それは 図太いようでいて 、音にだけは 敏感な 私、 自分自身のせいである。

 

足音、咀嚼音、ためいき、唸り声。

 

 もし手術をして、その後 その痛みに 私自身うなりでもしたら 、きっと周りにも迷惑をかける。

何も考えずに 自分のことだけに 集中して 考えていたいな。

でも 個室なんて贅沢かな。

うんやっぱり贅沢だよな。

 

そんなふうに考えていたら、 皇太后

「あなたが 夜眠れて 、体力を きちんと キープしておくことが一番大事じゃないの?。

こんな時に使わないで お金 いつ使うの。」

 

 そう聞いても、でもなーでもなー …やっぱり 小市民。貧乏人根性が抜けない。

 

家族にだったら個室YES!でも、自分の事になると、踏ん切りがつかない。

 

病院について 入院手続きをする時 、

「お部屋は どうしましょう 」

もう一度聞かれた。

 

説明時は 、「大部屋で結構です。」 そう答えていたけれど 、再度改めて尋ねられて みると…あー、迷う。

 

私の隣の席で 、おじさんが 困っていた。

「個室空いてないの ?何とかならないの?。」

 

そうなのだ 。コロナのせいで 個室希望者激増。 個室は取り合いなのだった。

 

そういうことなら 、手術後 一週間 程度は 贅沢だけれど 個室にしようかな …その場でそう決めた私。

 

「すみません。術後 一週間 、個室をお願いできますか 。」

私がそう言うと 、

「はい 。それじゃあ病棟に 連絡しますので、 そこでもう一度 ご希望を言っていただけますか?」 と係の人。

 

病棟について

「すみません。個室を 術後一週間 」と 繰り返す 。

 

「あ、はい 。そうしたら、 病棟長 にご希望が 通るかどうか 聞いてみますね。」

 

すぐにちょっと悪い顔をして 、先ほどの看護師さんが戻って来た。

 

「今だったらおさえられるんですけど。

正直、 個室は取り合いなので、 明日になったら お約束できる かどうかは 分からないんです。

どうされます?。」

 

まるでドラマの中の、悪徳不動産業者みたいだ。

 

そう言われて 腹が決まった。

 

「あ、そしたら お願いします。

最初一週間って言ってましたけれど、 退院までお願いできますか?。 」

 

「わかりました。 じゃあそのように手配します。 」

 

それでも 実際問題 、入室には半日待たされた。

前の人が 退院しないと 部屋には入れない。 個室は本当に取り合いなのだ。

 

「思い切って 個室取っちゃったよ。 」

 

「よかった ー。その方が絶対いいよ。 ハワイに行ったと思ってさ。」

 

そうか ハワイ。

 

この選択は 結局 私にとっては 大正解。

 

アロハハワイ。

 

ハワイ部屋の中で、私は 悶絶し、うなっている。

スパルタ式

手術後 第1日目 は 、手術室 すぐ横の 部屋に 寝かされていた ように 思う。

と言うか 痛くて 本当に確実な ところは 覚えられていない。

とにかく痛い。

痛さMAX。

そりゃそうよね。 体に メスを入れているんだもん。 痛くないはずはないのだった。

 

何が辛かったって 手術直後の 痰の処置。 少々 グロい 話になる。

 

私は かつて、チェーンヘビースモーカー だった。

仕事している時 、人と対面している時 、一区切りついて ほっとした時 。

 

タバコの煙は 私を慰めてくれたし 、大事な 友人でもあった。

 

しかし退職後、 ふと思い立ち 、これといった 大きな理由はなかったけれど 、

「私、 禁煙しよう 」

そう思って、 1日 3箱吸っていた タバコをやめた。

 

それは私にとって 思い切った決断ではあったけれど、 自分でも驚くぐらい きっぱりと 遂行された。

 

そして 、もうそれは 随分昔の話。

だから 今の 私には 関係ないと 思いきや。

 

痰が上がってくる。

 

と それがあなた、 泪と 鼻水と 一緒になって それは もう ドンジャラホイの 世界。

 

顔の横で

「あら タバコを吸っていたのかしら」

と 看護師さんが言う。

 

つまり タバコを吸っていた、 あるいは吸っている 人間の 痰は、粘着性が違うらしい。

 

「tonchikiさん、機械でとりますよー。」

 

 ドンジャラホイの状態だから 、無言で頷くしかない私。

 

がががががががが ゴゴゴゴゴゴゴゴ

 

吸痰機械を 喉に突っ込まれて 吸引される。

 

ドンジャラホイが爆発して 世界が 終わるかと思った。

 

苦しいーーーーーーー。

 

まあ こんな体験を する人間が、 それほど多くいるとは思わないけれど、もし貴方が身近な人間に禁煙を求めているのならば、 何かのきっかけで ドンジャラホイ体験 をするやもと、脅かすのもいいかもしれない。

 

 一人の人間に いろんな顔があるように 、タバコにもいろんな面があるのだ。

 

で、そんなこといいから助けてくれ。

 

そんなこんなで わやくちゃになりながら 一晩中唸っていた。

 

そして二日目 。

「tonchikiさん 病室に帰りましょう。 車椅子に座りましょうか。 」

看護師さんに言われて 

「いいけど。 部屋に帰るのはいいけれど 、車椅子に座るって、私の現状が見えている? て言うか 気は確かか?」 と思った。

 

お願い 私を静かに 休ませて。

 

ベッドの横に 車椅子が運ばれてきた。

「はい、ゆっくり ゆっくり でいいですからね。」

 

お願いだから私を 静かに… 。いくらそうおもっても 、 汲み取ってくれそうには無かった 。

スパルタ 。

 

こうして 私は 手術前の 自分の ベッドに帰ってきたのだ。



 

追記。

そして 私は こんな体験をしても、 昔の あの タバコの 煙との   親しかった 関係を、今後も 後悔は しないだろう。 矛盾しているようだけれど  そういうものだ。 それはそれで、これはこれ。 

 

ああ、でも乳癌手術の時にまたあれを??

 

それは本当に憂鬱。

 

 

追記の追記。

途中で文字が大きくなった所があるけれど、訂正の仕方がわからない。全くもう!!!

消えぬミーハー心

「お前 結構更新しているけど、余裕あるんじゃねーの 」と 思っていらっしゃる 方も いるかもしれないけれど、 なんせ 痛いのだ。 何か違うことをしていなければ 気が紛れない。

 

麻酔の為に挿管していた管が、喉を細かく傷つけているのだと、説明されても、水を飲む練習をしていて、咳をすればダイレクトに傷に響く。

 

(まさかこの年で、水を飲む練習なんてするとは思わなかった。)

 

それにしても 携帯を手に入れて 本当に良かったと 思う私だ。

 

この携帯もまた、 私の 友人達が 色々調べてくれたのち、

入院前に 車で ショップに 連れて行って くれて 、手に入ったものだ。

 

多分、 あの少し強引な 展開がなければ 、私は携帯を手に入れていなかっただろう。

 

なければないで 別にいいや。

そんなふうに思っていたけれど 、今、 この瞬間、 はっきり言って 必需品。

痛みと闘うためにも。

 

 

病院は 女性が多い職場。

ちびまる子 ドクターや 乳腺ご陽気ドクター も女性だけれど、なんといっても看護師さん。

 

看護師さんたちの世界では 、やっぱり 女性が多い。

 

私が入院した時 、

看護学生の勉強のために こちらにつけてもいいでしょうか?勿論ダルくなったら、途中で拒否することも可能です。」 という打診があった。

 

まあこんな私でも 何かの役に立つのなら それもまた良いかと OK 。

 

立派な看護師さんになるがいいさ。

 

私に着いた 看護学生二人は まだ本当に若い ピチピチした2人組で 、色々と緊張しながら それでも一生懸命に 私に話を向けてくる。

 

患者のバックボーンを知ることで、看護に繋げる…多分、そういうことが 授業のひとつの 大事な一環になっているのだろう。

 

それで話していて、 自分ばっかり話すのも なんだし 飽きても来ていた私は、「あなたはどうして 看護師さんになろうと思ったの ?」と尋ねてみた。

 

すると 彼女は、「 私は小さい頃 入院していた事があって、その時に 看護婦さんから 随分優しくしてもらって 、憧れたんです。」 と そこまでは こう言っちゃなんだけど 、よくあるパターンの話。

 

その次に彼女が言うには「再就職しやすい 職業ですから。」

 

 いやー今の20代って しっかりしてるね~。

 

自分が20代の頃 再就職のことなんか、1ミリたりとも、考えていなかったぞ。

そんなことより 目の前の ミーハーな興味を 満たすことで いっぱいだったぞ。

 

私はびっくりするやら感心するやら。

すっかりおばちゃん丸出しで、

「へーーーーーーー」

 

話は飛ぶけれど 外科 で最初に 紹介された ドクターは 外科部長と言う 役職。

 

「tonchikiさん 手術頑張りましょうね 。」

そう言って 話す 彼は 、オメガの時計をしていて、(シーマスター) 私はそれが 妙に目に付いて。

 

自分の話なんだから 、自分の事なんだから 、もっと集中して 話を聞かなくちゃいけない 。そう思うんだけど 、オメガか なるほど。 そして眼鏡は 多分 フォーナイン。 なるほどなるほど。 そんなことばかりが気になってしまうのだった。

 

看護学生に感心はしても、自分自身はというと、幾つになっても私のミーハーは治らない。

 

オメガドクターは、それなりにとても感じのいい人で、 そうか 外科の先生って 、毎日のように切ったりはったりしているのだから、さっぱりしてるのかもね …何て 思っていた。

 

だけれど 私を 実際に 執刀するのは オメガドクターではなかった。

それは ごま塩頭の 離島の みんなから好かれている ドクター って感じの 先生。 「彼が執刀しますので 」そうか。 部長先生ってのは そういう役割のわけね。 なるほどなるほど。

 

離島先生は オメガの時計はしていない。 だけど 説明が丁寧で とても腰の低い ドクターだった。

ゴルゴダ手術室


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眠れないけれど、看護師さんに携帯をとってもらったので、更新することにする。

 

そもそも手術前、 手術室へ行く時は ストレッチャーに乗せられて 見守る家族 に弱々しく 手を振りながら 入っていく
そういうもの…だと 思うじゃない?

けれど 、ところがどっこい。

 

この病院の手術室は 、外科病棟と同じ階にあり、「歩いて行きましょうね 。」と 看護師さんは 明るく言うのだった。

歩いて ??はてな そうか 歩いて行くのか 。歩いてね~。ゴルゴダ手術室。

 

病室で 手術着に着替える。

そして 着圧ソックス を履く。

 

貴重品は 家族に あずけてくれ と言われたので、 お守りと 私のベッドの 貴重品入れの 鍵を バッグに入れて 家族に渡した。

 

そのお守りは 、ひとつは 自分で ずっと毎年皇太后と一緒に お参りしてきた ところのもの。

そしてもう一つは 、弟嫁のお母さんが 私のためにと 取り寄せてくれた おできに よくきくという お守り。

まあ癌も おできといえば おできだ。御自分だって身体の調子がいいとは、決して言えないお母さんが、わざわざ取り寄せて…と思うとありがたくて涙が出そうになる。

 

今回手術前、 いろんな人の エールを受けた。こういうのって 申し訳ないと言うか 何と言うか。

今まで とにかく そういうとき、ちょっと屈折した 受け取りかたをしがちな 私だったけれど、 思わぬところで 思わぬ人に 熱いエールをもらうと 、それはやっぱり ありがたく嬉しいものなのだった。力になった。

 

だって、私ってばええ格好しい。エールをもらうと、俄然力がでるんだ。

 

病は気からって言うじゃない?

エールは気力を高めてくれる気がした。

ありがたく受け取っておこう。この気のおかげで頑張れるのは、本当のこと。

 

別にスピリチュアルに、どっぷり…そんなことじゃない。

そもそも普段はてんで…な私が、スピリチュアルなんて言い出したら、神様もあきれてしまうに違いない。

 

それでも やっぱり 人間の 「思い 」というものの強さは 、確実に 存在する と も思う私なのだった。

 

話は飛ぶけれど、 今 結婚を 選ばない 女性達、 若い女性たち がどんどん増えてきているという。

 別に結婚しようが 非婚であろうが 、私風情が言うまでもなく、それはその人の自由だ。

そもそも私自身非婚者だ。

 

大事なの は、 自分がどうしようもなくなった時 、助けてくれる、甘えさせてくれる そんな人が いるかどうか。

自分の味方…そういう人、それは人生を助けてくれるだけでなく、変えてもくれるよね。

 

家庭を持っていても、 相手が 向き合ってくれなければ、 それは不幸なことだ。

また 私の恋人は大丈夫 と思っていても、 それは あなたが可愛く 元気だから 、かもしれない。

 

結婚しようと 非婚であろうと 、それはその人の自由ではあるけれど 、どうしようもない時に 孤独を 自分だけで 引き受けられるほど 自分が強いかどうか 、それは 可愛く元気な時 から考えて おいた方がいいかもしれない。…等と余計な事を私は考えている。

 

人は一人で生まれ、1人で死んでいく。

その人生が、価値観が、過不足なかったとか正しくないとかは、最後の本当に最後にならなくちゃ答えは出ない。

 

親が 結婚を勧めるのは 何のかんの言いながら 、まだまだ日本は 男社会であるし、 その形が 無難であると 信じられる、その世代のモデルケースであるからだろう。

 

もし いや、そうでないというのならば 、誰しも年をとる ということや、 どうしようもない ときもやってくるのだということを 覚悟していなければならない。そう思う。

 

味方は同性でも異性でも、どちらでもいいよね。

1人でも多人数でも。

 

我が子の超絶ハッピーを見たい…そう願う親に、モデルケースではないハッピーを証明するのには、長い長い時間がかかる。

 

どちらにせよ、自分の選択は、必ず何処かで試される。

 

私はラッキーだった。

非婚の私は、随分、親をがっかりも、失望させたりもしてきたけれど、こんなにもあたたかく無償の愛情で支えてくれる人達がいてくれる。

 

そう言うと、皇太后が、「本当にそうね。tonchikiは、そういう運だけは強いのかも。」と、笑った。

 

アンラッキーノナカノラッキー。

 

「さあ行きましょうか 」

いよいよ手術本番。 こんな私でも やっぱりドキドキしながら 歩いて行くと 、乳腺ご陽気ドクターが 私をみつけて 声をかけてきた。

 

「あらtonchikiさん 、今からなの ?頑張ってね。 私も待ってるから。 次は私が 切る番だからね。」

 

いやいや先生、 ご陽気だと思っていたけど 、そ、そ、そんなマッドな エールってある ??。

 

「それでは ここで。」

銀色の 扉の前 で 、弟たちに 挨拶を、私は中に入った 。 ドクター X の世界だ。

 

「このベッドに 横になってください。 全身麻酔ですので 目が覚めた時には 終わっています。 そこからは tonchikiさんが頑張る番ですよ。」 そう言って 執刀ドクター は にっこり笑った。

 

 

まさかさ 、本当に こんなにスパルタだなんて 思いもしなかったよね。 この時には。