言葉の力

テレビでDr.コトー診療所の再放送をやっていて、観ている。

 

ある種のファンタジーだよと

心のなかで思いながら観ているのだけれど、毎回ベソベソ泣いてしまう。

 

オンタイムで観ている時だって

ベソベソしてはいたけれど、今観ていてここまで、なのは、癌を告知された時のこと。

それから後の言葉に出来ない気持ち、周りへの気持ち、落ちた自分自身を重ねて観ているからだろう。

 

柴咲コウ演じるあやかが乳癌になってからのくだり。

 

放っておいてくれ

迷惑をかけたくない

顔をあげておきたいと思いながら、

不安でどうしようもなくて、なにかすがるような気持ち。

 

それは、私が経験したことでもある。

 

相反する2つの感情が渦巻いて

思うように動かぬ身体と共に

自分を縛る。

 

結果、甘えてしまうことになる自分が

歯がゆく

苦しい。

 

いい格好しいの自分は、いい格好しいの、その部分が支えに、芯になるところもあるのだけれど

治りたい

元気になったらと思いながら

時々

もう、いいって気持ちにもなる。

もう、いい。

もう、いいや。

 

そんな自分が重なる。

 

ああ、そうだよな。

わかる。

わかる。

わかるけど。

 


f:id:texastonchki:20221203175220j:image

 

手術をする優秀な本土のドクターが、あやかに言う。

 

一人で手術を受けようとするあやか。

 

「先生、私、治りますか?」

 

「…厳密に言って、癌は治る病気ではありません。

治ったと思っても、何年か後、再発することのある病ですから。

 

だから、癌においては生存率でみていくしかないのです。

 

貴方の場合、10年後の生存率は70%から80%。

この生存率は高い方ですから。」

 

というシーンがあった。

 

あやかの父親は彼女の状況を知り、同じように優秀なドクターから、説明を受ける。

 

「…でも、20%の人たちは…。」

 

「それは、とりかた次第です。

その20%に目を向けるか、80%に目を向けるか。」

 

何もまちがったことは言っていない。

優秀なドクターの言うことは

本当にその通りだ。

 

でも。

 

私にも同じようなことがあった。

既に何度か書いているかも知れないけれど。

 

 

「自分の治療法は自分で選んでくださいって言われたから、ネットでググったら

余命とかさ生存率とかさ。

わかってるつもりだったけど、…きつい。

なんか、ねー。」

 

その時友人は言った。

 

「そんなもの観なくていいよ。

そもそも私たち、みんな余命をいきてるんじゃん!」

 

その言葉を聞いて、私は

泣きながら笑った。

 

正しい言葉と

響く言葉は

必ずしもイコールじゃないよなあ。