1度目の帰宅でべそべそ

弟が迎えに来てくれていた。

「旦那さんがいらっしゃってます。」

いやいやいやいや、看護師さん、あれは、弟です。

まあ、普通は旦那が・・・だと思うけど。

だけど私は独身。
今まで一度も結婚したことは、ないんだよ~ん。

 
旦那弟が、

「お疲れ」

 

「悪いね。ありがとう。 

ところであんた、看護師さんに、旦那さんとか言われていたよ。」

 

「あっはっはっはっは。」

 

「ちょっとなんか、遅かったやん。呼ばれてたん??」

 

「うん。乳腺の先生が、再検査しますだって。・・・なんやろ。やだな~。」

 

「あー、心配せんでもきっと大丈夫や。
うちの嫁さんも、「再検査とかよくある話や」って言ってた。」

 

「そかな。うん。」

 

そんなことを話しながら、帰宅。

「あ~~~~~やっぱり家はいいなあ~~~~。」

お爺ちゃんが、温泉旅行から帰って来て、玄関を開けて絞り出す一言。
そんな感じで、思わず声が出てしまった。

「温泉もいいけれど、やっぱり家が一番じゃ」
心の中の友蔵が呟く。

ベッドにごろりと横になる。

あーーーー極楽~~~。

私はずっと、そば殻枕派だったのだけれど、病院のそば殻枕、硬かったんだよなあ~。
おかげで肩が凝っちゃって、湿布薬もらっちゃったもの。

ああ~~~~~~。

・・・さ、ご飯を作ろう。
明日の朝、皇太后が食べるパンも焼かなくちゃ。

しばらく、うとうとした後、起き上がる。

太后というのは、私の母。
一緒に暮らしている、スーパー高齢者の母のことだ。

 入院している間、私がただひとつ気になっていたのは、気がかりだったのは、この母のことだった。

ご飯はちゃんと食べているかしら?
水分はきちんととっているかしら?
趣味の(というか、もはや彼女の生き甲斐である)家庭菜園へ出かける時には、帽子かぶって出かけているかしらん。

「大丈夫」

「平気よ」

そう言いながら、いつも自分の事は後回しにしがち、我慢しがちな母のことだけが、私の気がかりだったのだ。

 

そう。
私はマザコン

 

7年間父の介護をして、自宅で看取った私達は、
いつしか同志になった。
そうして母が年を重ねるにつれ、親子の立場が逆転するなんて事もチラホラ起こり。

亡くなった父との間には、いろんな思いがあったのだけれど
ある日、友人が言った。

「tonchikiちゃんは、マザコンファザコン
やだ。知らなかったの~??」

 

そうきっぱり言われちゃうと、
なんだか、晴れ晴れと軽くなった私だった。

そう、私はファザコンでマザコン


救急車で運ばれた時は、
自分で電話して救急車を呼んだけれど、
その後皇太后が、心細い思いをしているのではないだろうかと、そのことが気になって仕方なかった。

そして、今回の入院から帰還した時
私は、「愛」を見たのだった。

それは愛としか形容のできないものだった。

「きっとtonchikiさんが、お母さんの事心配なさっているだろうと思って。
お口に合うかどうか判らなかったんですけど・・・押し付けちゃいました。」

ガールフレンドが届けてくれた手作りのお弁当のパックを見た時
私は泣いた。

「朝ごはん作るのしんどいだろうから」
TOKIOのガールフレンドから届いた、緊急支援物資。
再度泣く。

べそべそべそべそ鼻水たらしながら泣いた。
ありがたくて、嬉しくて。

もし・・・もし、私が逆の立場だったらどうだろう。

う~~ん・・・正直ここまでできる気がしない。
想像力も働かない気がするんだ。残念ながら。

愛って、想像力だな。

そのことを噛みしめる。

いやあ、ほんと、泣いた~~~。

「こういう涙は、いいものじゃのぉ~。」

確かに、ね。


で、さらに、友人によって、明らかになっていく事実、現実。